zshio3721の日記

日本の動物園について勉強しています。アカデミックな価値は皆無です。

動物園経営の手法


順番は前後しますが、先にこちらを書きます。後にすると忘れそうだしね。

日本の公設動物園は、その経営の手法を2000年頃から転換することを強いられます。すなわち、それまで「公設かつ公営」、つまり動物園を作るのも運営するのも地方自治体という動物園が多数だったのに対し、この頃から「公設でありながら民営」、つまり作ったのは地方自治体だけど運営はどこかの法人、という形態が増加します。ちなみに上野動物園も、多摩動物公園・井の頭公園・葛西臨海公園と共に東京ズーネットという公益法人が運営しています。
これは80年代後半から続く動物園への来場者の不振によります。人が来なくてカネにならんので、地方自治体が自分の管轄から動物園運営を切り離した、ということです。これを指定管理者制度と呼びます。

この頃から同時に、動物舎のデザインや顧客サービスに関しても民間企業と提携することが全面的に打ち出されます。まぁ当たり前ですよね、その辺、マーケットで洗練されたモンを使ったほうがお客さんにはウケがいい。

さてさて、このようないわゆる民営化は別に動物園に限った話ではないですよね。日本では郵政民営化に始まって、最近では社会保障の民営化が流行っています。

僕が問いたいのは、この民営化が得た帰結がどんなものかということです。もっというと、市場に任せたら誰かがHAPPYになったのか、ということを問いたい。

展示の話と絡めます。動物園の展示改革が始まるのは同じく90年頃から。入園者は減るわ、動物愛護が流行るわでこのままではイカンということで単なるオリではない新たな展示手法が探られます。この時例えば中川氏は、「動物園学ことはじめ」の中で語っている通り、人と動物がいかに調和するかを探る場として動物園を定義していますから、それを実現する展示を模索していたと見て良いのかなと思います。

その模索の先に見えてきたのが、旭山の行動展示でした。動物本来の行動を引き出すことにより、「どんな動物もスゴいんだ」という自然に対する畏敬や驚嘆の念を養う目的で作られ、それが見事に成功したのが旭山動物園2000年代前半の快進撃でした。これはおそらく、中川氏が求めていた答えの一つであったでしょう。

もう一つ、模索の先に見えてきた答えがありました。若生謙二らが提案する、生態展示です。彼らデザイナーは、デザイン会社に所属し動物園に動物舎のデザインを提案してきました。そこで用いられるのが、私が散々意見を言ってきた“ガラス張り”であり“ランドスケープイマージョン”なのです。

これらは、はっきり言ってお客さんからしたらオモシロイもんです。アミューズメントパーク的であり、もっともっと進化すれば動物を活かしたディズニーランドと言えるでしょう。要するにジュラシック・パークみたいなもんです。

しかしそこに、かつての中川氏らの志はあるでしょうか。デザインを市場に任せたその結果、一番はじめの理想と現状がずれてはいないでしょうか。そうなっているとしたら、果たして動物園はこれから存在する意義がどれだけあるでしょうか。

これが僕の問いです。ガラス張りとランドスケープイマージョンをまだちゃんとは批判してませんのでそこはまた後日。