最近の研究について
約一年ぶりの更新です。
今年に入ってから諸事情により研究を中断していましたが、夏ごろから去年よりもはるかに緩やかなペースで研究を再開しています。誤解を恐れずいうならば、趣味。
ところが今年に入ってからの研究は動物園ではなく、動物愛護の歴史に関する研究となっています。これは自分の研究ではなく、他の研究者の方の調査を手伝うというかたちで勉強を再開したからです。
ブログタイトル詐欺ですが、いつかは自分の問題意識である動物園に戻ってくるでしょう。確証はないけど。他流試合も大事みたいな、そんな感覚で研究を進めています。
また去年よりも歴史的研究の側面が強くなっています。去年のは研究というか、文献を読んで感じたことを垂れ流してそれを論文らしくまとめましたみたいな、金メダルチョコみたいな絶妙な安っぽさがありました。
でも僕はそういうやり方も好きです。当面はきちんとした人文学研究者になる予定(なれる予定)もなさそうなので、アカデミズムに縛られず自分の意見をお手軽に発信したいから。させてください。
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さて当の研究に関してですが、論点がまったく散乱しています。日本において動物愛護団体が初めて設立(団体名は「動物虐待防止会」)された1902年から現在に至るまで、日本で展開された動物保護・愛護に関する議論は特に日本国内でまだまだ研究が手つかずで、それゆえ多くの含意・研究可能性を内包しています。またその事実を諸外国から批判される向きもあります。
ですから、きちんとした研究が待たれる分野でもあるので、そのお手伝いができることは少なからず嬉しいことです。
というわけで今回は、今年と去年の橋渡しということで、動物愛護と動物園に共通する論点を取り上げたいと思います。
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西欧と日本という区分があるとしたら、動物を捉える視点・視座が異なるというのが動物園研究で暗示的に言いたかったことでした。この考えは動物愛護に関しても同様ではないでしょうか。
初期の動物愛護運動、詳細は省きますがたとえば1914年に設立された日本人道会の主な活動は包括していえば「目の前の動物を助ける」というものでした。具体的には係留した野犬の安楽死援助、係留所の環境改善、給水槽の設置など。そしてこれらの活動は主に日本に住む外国人女性(駐日大使の妻など)によって行われました。つまりこれは動物にある種の感情移入をして、かわいそうだと思って助けるという直観が根底にあるのだと思います。
この時点でこういった活動は、人間と分断された動物という対象が前提とされているというのは疑いがないと思います。人間と動物、主と客が分離していなければ対象に感情移入するということは不可能です。
これに対し、日本人によって展開される愛護運動にはこうしたはっきりとした主客分離が認められないような気がするのです。
1902年、広井辰太郎が中心となって発足した動物虐待防止会は当初から、わかりやすい動物保護運動も展開していたようですが(牛馬給水槽の設置など)、一方で各種雑誌上で様々な議論を部外者とたたかわせていました。その中で、広井に一貫して認められるのが利己主義的な態度です。肉食は人類にとって必要なものであるからこれを否定はしない。動物虐待を動物の問題ではなく人間社会の問題ととらえている。
第二次世界大戦後の1955年、ほとんど日本人だけで日本動物愛護協会が発足しますが(正確には日本動物福祉協会を独立させて事実上の再発足)、その際も代表である斎藤弘吉が唱えるのは動物愛護教育の重要性です。
つまり、日本人にとっては動物愛護問題はどこまでいっても人間自身の問題なのです。日本人の動物愛護意識に、愛護対象としての客観的な動物はあまり登場しない。
「動物がかわいそうだから助ける」というモットーはおそらく日本人のマインドにどこかひっかかりを残すのではないでしょうか。
僕が去年、動物園研究でこうした「日本人的な動物観」を体現しているとして取り上げた旭山動物園園長の坂東さんの態度に共通するような話です。猟銃持ってる園長って。
ということで久々の更新、結論を急ぎましたがこんな感じです。
動物園研究との接点に触れましたが、これからの動物愛護研究自体はまったく思いもよらない方向に行く可能性のほうが大きいです。