zshio3721の日記

日本の動物園について勉強しています。アカデミックな価値は皆無です。

イルカ猟と水族館問題について

論文がなんとか提出できました。

今回はその内容とからめて、イルカ漁と水族館問題を取り上げたいと思います。動物園じゃないけど。

まずは問題の背景を整理します。2015年4月22日に世界動物園水族館協会(WAZA)が日本動物園水族館協会(JAZA)の協会員資格を停止すると発表したところからこの話は始まります。

この決定はJAZAに所属するいくつかの動物園および水族館がイルカの追い込み漁によって生け捕りにされたイルカを飼育しているという事実を根拠にしたものです。ちなみにこの漁法はアカデミー賞受賞映画である「ザ・コーブ」などで非人道的であるとしてとりあげられていた、いわば“悪名高い”もので、主に和歌山県太地町で伝統的に行われています。

この決定に対して、最終的にJAZAは、この「非人道的で非選択的な」方法によって捕獲された生物を入手しないという禁止規定のもと、WAZAへの残留を決定しました。かたちとしてはWAZAの要求に一方的に降伏したことになります。

JAZAが協会内でどのような過程を経てこの決定に至ったのか、あるいは何がWAZAをここまで突き動かしたのかは詳細に知ることはできませんが(もちろん邪推は可能でしょうが…)、今回の事件がWAZAによる価値観の押し付けであることは明白です。

太地町のイルカ漁はおそらく伝統文化です。文化とは何か、伝統とは何かと聞かれてもばしっと答えることはできませんが、イルカ漁とともに生き、暮らしてゆく人々がいることは確実です。イルカ漁によるイルカ飼育を禁止し、イルカ漁の文化を“倫理”の観点から否定することは、この漁とともに生きる人々の暮らしを間接的にも直接的にも否定することです。

そもそもなぜ、この漁が残酷と言えるのか。その前提として、動物が痛みを感じるとはどういうことなのか(この場合の痛みとは漁による直接的なものはもちろん、心理面や飼育期間におけるストレスなど間接的なものも含みます)。このあたりまではWAZAもさすがに議論の準備があるでしょう。しかしながら、動物が人間である“自分と同じように”痛みを感じるとはどういうことなのか、なぜそのように言えるのか、動物が痛みを感じることと人間が漁をやめなくてはいけない理由はどうつながるのか、というところまで果たしてWAZA側に一定の答えが用意されているでしょうか。

このような議論とそれに伴うはっきりとした意思表示無しに、動物種の多様性を認めても人間文化の多様性を認めないというWAZAの意向に、どれだけ意味があるでしょうか。なぜこの漁は、グローバルスタンダードで否定されなくてはならなかったのでしょうか。

このあたりに、人間と動物の関係における西欧と日本の考えの違いがあるように思われます。それらの考察については次回以降。