zshio3721の日記

日本の動物園について勉強しています。アカデミックな価値は皆無です。

中川志郎の「動物園学」を探る


今回は中川志郎氏の「動物園学ことはじめ」を取り上げます。

以前にも書いた日本の「動物園学」はこの本を代表とするような著作の考えを受け継いでいるように思われます。そのため今回はこちらの本を読むことで、そのルーツを探りながら批判をくわえていきたいと考えた次第です。

章立てとしては世界や日本の動物園の歴史を概観した後、動物園の役割及び動物園における実際の飼育学や展示学について具体例を交えながら説明し、最後の数ページで「動物園学」について筆者の考えを述べるというかたちになっています。

1970年代とかなり古めの本なのであまり期待(?)せずに読んだのですが、動物園関係者ならではの具体例が多く載っていて興味深く読むことができました。

当然自分の興味は最後の「動物園学」に関する章なので、そこを詳しく見ていきます。


まず中川氏の前提として、動物園が社会から求められる役割は近代に入ってから変わってきているというものがあります。前近代のメナジェリー的な動物園像から脱却し、動物園は見世物小屋から科学の場に移ったということです。

しかしながらこの科学の場というのは、単純に動物学や博物学の実験の場という意味ではなく、動物園そのものが持つ新しい科学であると述べています。

ここまでの主張はおおむね賛成できますが、ここからが少しよく分かりません。

すなわち、中川氏のいう動物園ならではの科学、つまり「動物園学」とも呼べるものは動物園に関わる様々な学問の総体であり、その構成要素は動物生態学や動物地理学などを含む「動物学」や動物の見せ方を科学する「野生動物展示学」、動物の飼育の仕方を論じる「野生動物飼育学」であると主張が続きます。


これって、新しい科学なんでしょうか。既存の科学の、自分たちに関わる部分だけを引っ張ってきて、それを全部足し合わせたら新しい科学の誕生だなんてそんなことあるものなんでしょうか。

このままでは動物園学は独自の理論を持たないのではないでしょうか。例えば仮に展示に関する理論を新たに発見したとして、それは動物展示学の進歩であり、「動物園学」の進歩ではないのでは?

まぁ学問とか科学の明確な定義はよくわからないのでこの指摘は深堀りしないにしても、中川氏やその考え方を引き継ぐ現代の日本の「動物園学」は思想的に大きな欠点があると思われます。そちらはまた記事を変えて。