zshio3721の日記

日本の動物園について勉強しています。アカデミックな価値は皆無です。

見るということ(前半)

ひとまず日本の動物園調査の基礎研究の一環として、John Bergerの「見るということ」一章を読んでおります。

しかしまぁ、言っていることがよく分からない。

人間と動物の関係について、だいたいは時系列に沿って歴史をひもといてゆくのだけれど、使われる単語、言い回し、話の飛び方が理解を妨げます。

特にまず分からないのが、動物の持つ「秘密」という単語の意味。この秘密は山や海の「神秘」とは違うものであり、人間に向けられた秘密、らしい。なんだ、人間に向けられた秘密って。そんなん秘密じゃなくないすか。

秘密っていえば、「妻には秘密のへそくり」とかそんな例が浮かびますよね。あいや、この場合は「内緒」の方がしっくりくるなぁ。なにが違うんだろう。
じゃあとりあえず「秘密基地」はどうだろう。秘密基地ってのは、大人には秘密の遊び場。この場合の秘密っていうのは、例えば隠れて遊ぶドキドキとか、そこで起きるワクワクすること、なのかな。

その秘密が、大人に向けられてるってどういうことだろう。大人には秘密だけど、大人に向けられてる。
つまり基地の存在とか、場所自体は隠蔽されてるんだけど、基地があるということ、基地を作ってしまったという事実自体が自分にとっては大人へのメッセージとなってるってことなのかもしれない。基地が出来てしまったその日から、子供は基地というフィルターを通して大人を見るようになる。パパは基地を持ってないからかわいそうだ、つってね。

前に書いたような自然の神秘と、この秘密は確かに違うような気がする。山とか海はそこにあるだけであって、自分の秘密を誰かに「向け」たりはしないものなぁ。

さて残念ながらこの章の主題は秘密そのものではなくて、人間が動物の「視線」を遮ったその時から、人間は動物の秘密の存在を知るようになったということなんですね。そりゃそうだよね、筆者が言うように人間と動物がかつて一体のものであったならば、秘密もなにもないものね。自分に隠し事はできないってことですわ。


で、なにが人間と動物を分けてしまったかというと、思考力とそれを発する言語だというんですね。言葉を使って動物を何かに「譬える」ってのが好例。自分を使って自分を譬えることはしませんものね。これを理論的に説明したデカルト云々の部分は正直ほんとにわかりまへん。

とにかく人間さんは動物と別れたあと何をしたかっていうと、動物を追いやってしまった。しっしっ。絶滅に、あるいは保護区に、未開の地に。人間とともに残った動物はペットであり、ペットは家族に「吸収」されている。出た、この吸収ってなんなんですかね…。消費、みたいなニュアンスでとらえてよろしいんでしょうか。

ここでおそらく一章の前半の内容は終わりなはず。ぼんやりした部分が多すぎますなぁ。途中で出てきた「視線」っていうのがキーワードになります(タイトルも「見るということ」ですしね)。そちらはまた後半で。洋書から先に読まなくて本当によかった。自分の英断に拍手。